チーコと私の病床日誌(137)

 令和2年1月4日(土)、晴14℃、午後5時から、佐賀市松原のJINで飲酒。色々話をして7時半に帰る。

1月5日〔日)、晴14度、1時~4時半。庭の蔓草を取り、竹藪に龍の髭を植える。

1月9日、晴14度。朝、洗濯、昼から、草太郎の貯金をして、スーパーで買い物、2時半~4時半、庭仕事を少しして、蔓延った竜の髭に除草剤を撒く。

1月11日、曇14度。昼前、椿の花を持ってホームへ。妻は言葉ははっきりしないものの、手を握り、急き込んで色んな話をする。50パーセントほど判るので嬉しい。

1月16日、曇、午後3時から5時半まで、裏庭の槙の木と山茶花の枝を剪定する。

1月28日、曇で一時小雨。朝掃除当番.。中国武漢の肺炎の拡大が心配。作業服など洗濯。16度と温かいが、作業はやめる。5時、ユウチューブの画面で、封鎖された武漢の若者が訴える声を聞いた。可哀想に。

2月2日、晴14度、午後3時から、庭木の剪定して、後、堀のゴミを拾ってボランティア袋に入れる。5時に終わる。

2月4日、曇、13度、2時半~4時半、庭の樒(しきみ)、山茶花の剪定。

2月6日(木)、晴、午後2時半、ホームへ。天気が良いので、外に連れ出し、北風が当たらない植木の南で、色々話をする。お父さんは?と訊くので、お父さんもお母さんも、もう亡くなったよ。という。加代子ともいう。勝人君も皆死んでしまったね。量輝や昌源はと訊く。元気だよ。こんど5月の連休に帰って来るからね。夜、バッへルベルのカノンを聴く。

2月13日、晴、18度と温かいので、昼から、庭仕事。バリカンで、伸びたジャスミンを切り、北畑の雑草を刈り、あと、堀端の楠木を剪定して、4時半に終わる。

2月14日、晴で19度。昼から、大木になった貝塚伊吹に脚立を立てかけて、伸びた枝の剪定をする。鋸も使わねばならないほど太い枝もあって、疲れる。全部は出来なかったが、4時半に終わる。

2月21日、晴、17度。午後1時から、3本の槙の木を剪定。4時半に終わる。

2月23日、晴、14度。昼から、ヒマラヤ杉と槙の木の剪定していたら、案内板を見ていた新任の警官が、こちらに気づいて入って来たので、江藤新平との関係など、昔のことを色々話し、その後、入り口の松の木を選定して4時半に終わる。

2月24日、晴、17度。午後3時~5時半、槙の木の剪定。

2月29日、雨、朝9時過ぎ、ホームから電話があり、新型コロナウイルスの予防のため、当分(期間未定)面会禁止となる。本人にも判ればいいが。

3月2日、3時~5時、すこし風があるが、遣り残した槙の木の剪定をする。

3月3日、昼から市役所。3時~4時半、暖かいので、槙の木とヒマラヤ杉の剪定。

3月4日、朝、長男へ戸籍抄本を送る。

3月5日、郵便局で墓地の管理料を納める。