巨石(84)

 街から五キロほど山手に行った所に、巨石パークという名前の場所がある。パークとは云っても、実は、三百五十メートルほどの低い山である。ひと頃の村起し町起しの機運に乗って、テーマパークとして整備され、入口に大きな標示看板まであるが、もともとは、よどひめ神社の御神体として、肥前風土記にも登場し、はるか以前から信仰の対象となっていた場所で、戦前は、参拝する人の行列が絶えなかった所だ。
 駐車場からすぐ傍の山道を上って行くと、やがて、鬱蒼とした木立の中に、忽然と兜石、座禅石、舟石などの巨石が現われ、つぎに雄石、雌石、屏風石、天の岩戸石、神護石、などが、つぎつぎ姿を現わし、山のいちばん頂上に烏帽子石、少し離れた場所に誕生石、蛙石などが鎮座する。それにしても、巨石はみんなのしかかるほどの大きさの岩なのに、それぞれの名前では、みな石と呼ばれているのが不思議といえば不思議だ。
 何度かこの山に登ったが、いつも、巨石の重々しい存在感に圧倒されてしまう。
木の根が巻き付いた兜石を見上げ、落ち葉が重なる座禅石から下の奈落を見下ろす。屏風石の下に入ると押しつぶされそうな気持になる。神護石は太古の恐竜の胴体を見るようだ。それからどこまでも高くそそり立つ雄石‥‥‥。
 
 言葉を失うというのはこのことだろうか。巨石に出会う者は、その大きさ、その異様な形状、荘厳なたたずまいに声を呑む。あとには、強い畏怖の感情だけが残り、表現するどんな言葉も無力だ。
 ‥‥‥‥時が始まってこのかた、闇の彼方にうごめくものを照らしだす言葉。意味もなくたちつくすかれらを映し、よみがえらせる世の光。それは物たちに、優しい英知の顔を与え、あたかもいのちあるもののように、幾重にもやわらかい感情の影を投げかける。
 言葉は光。ことばがなければ、かれらもついに存在しえない筈なのが‥‥。
 羊歯に覆われ苔むして、行く手に、ぬうと立ちはだかるもの。思いもかけず、むこうからあんぐり、そこいらの理性を呑み尽くし、
ひともなげにこっちを見下ろすものーそして逆転の時が始まる。
 人間‥‥お前は一体何者だ。